鹿島鉄道は廃線になりましたが、「鹿島鉄道を守る会」は存続します。 廃線後の状況を発信する役割を担いたいと思います。 関東鉄道は、急ピッチで有人駅の駅舎とレール・枕木の撤去を行いました。 そのやる気(!?)と費用があるならば、もっとがんばれたのではないかと思うほどです。 沿線自治体は、交通関係の連絡会を事務レベルで立ち上げました。待合所などの整備を 検討しているとのことです。そして、年末にビッグニュースがありました。石岡駅と常陸小川駅間を バス専用道として整備し、BRT(バス高速輸送方式)でバスを運行するという計画です。茨城空港の 開港に間に合うよう2年以内の運行を目指すとのこと。 沿線の高校生も「かしてつバス応援団」を結成しました。 車両もまだ6両残っています。 まだまだ、鹿島鉄道から目が離せません。 これからも様々な情報を発信していきます。 |
平成十九年(二〇〇七年)三月三十一日、鹿島鉄道は八十三年の歴史に幕を下ろした。鹿島参宮鉄道、関東鉄道鉾田線と名前を変えながら地域の大切な公共交通機関として行方地域にも大きな貢献をしてきた鉄道が消えてしまったことは残念なかぎりである。モータリゼーションの進展という地方鉄道にとっての逆風と環境問題や地域づくりの重視という追い風の狭間で、鹿島鉄道が廃線になるまでの事業者と行政と利用者・住民の動きをまとめてみた。 一回目の存続問題 二〇〇一年秋、関東鉄道株式会社の一〇〇%子会社である鹿島鉄道株式会社は、航空自衛隊百里基地へのジェット燃料輸送の打ち切りによる年間約一億円の減収を理由にこのままでは廃線しかないと、沿線五市町村に支援を要請した。これを受けて沿線五市町村は同年十二月に県も加えて首長や議会議長からなる鹿島鉄道対策協議会を発足させた。この時には、事業者が支援があれば運行を継続する態度であったこと、沿線五市町村も利用者アンケートに止まらず、全住民アンケートを実施するなど存続に前向きであったこと、住民にも存続の声が強かったこともあり、対策協議会は二〇〇二年九月、支援することでまとまった。「民間会社に補助金を出すのはおかしい」との意見も対策協議会では根強くあったが、「かしてつ応援団」(鹿島鉄道沿線中高生徒会連絡会)の発足(同年七月}と存続活動も力となった。その後、茨城県も加わり五年間で約二億円の公的支援が決まって、一回目の廃線の危機は免れた。 事業者、沿線市町村、利用者・住民の存続活動 公的支援を受けて、事業者(鹿島鉄道)も無料駐車場の設置、車両への自転車持込サービスの開始など利用者増に取り組んだ。沿線市町村(行政)は、住民による支援組織として「鹿島鉄道支援会議}を設置し、駅のイルミネーションなどを行った。利用者・住民の活動では「かしてつ応援団」が活躍した。沿線十六の中学と高校の生徒会が加盟し、交通手段を確保するという自分たちの身近な地域問題に学校関係者や地域の人々と共に取り組んだ。二〇〇四年秋に開始した「鹿島鉄道応援募金」には三百万円以上集まり、中高生向けの夏休み格安フリー切符の発売やラッピング列車「ガンバレ!かしてつ」号の運行などを行った。 活性化の取り組みは弱く、乗客減が続く 「かしてつ応援団」の支援活動は新聞やテレビにも度々取り上げられ、多くの人に注目されるようになったが、肝心の鉄道利用者は減り続けた。事業者、行政、利用者・住民が一緒に話し合う場も設けられることなく、三者がバラバラに取り組んでいたために、利用者増のための有効な手だてをとることができなかったのである。 市町村合併の陰に隠れた二回目の存続問題 五年間の公的支援の期限まで一年半となった二〇〇五年秋、「かしてつ応援団」は「公的支援の継続と事業者・沿線市町村・住民・利用者による再生計画づくり」を求める署名活動を開始した。約一万六千筆を集めて対策協議会に提出したが、合併による新しい市が出揃うまでは動けないと、鈍い反応であった。二〇〇六年二月、地域住民を中心に、「カシテツを救え。」をキャッチフレーズにして、一万個のブルーバンドを普及する運動が始まった。同年三月にはその流れで三百五十人が参加した「鹿島鉄道応援メッセージ発信会」が開催された。 沿線四市の熱意は薄く、事業者は廃止届提出 同年三月、鹿島鉄道は国土交通省に廃止届を出した。対策協議会が水面下で親会社の関東鉄道と交渉を継続する中、同年八月に石岡市民を中心に「鹿島鉄道存続再生ネットワーク」が結成され、「存続再生基金」の予約運動が行われた。秋には県の存続へ向けての動きが活発化したが、沿線4市からの住民への働きかけや説明も全くなく、対策協議会は新しい運行事業者の公募へと動いた。しかし応募した2つの団体を却下し、「存続を断念する」つまり廃線を容認することで決着し、平成十九年{二〇〇七年}三月、廃線となった。 |
2001年12月の新聞報道によって、鹿島鉄道が存続の危機に直面していることが明らかになりました。航空自衛隊百里基地へのジェット燃料輸送が打ち切られたために年間約1億円の収入源になり、平成13年度はおよそ9千万円の赤字が予想されるとのことで、何らかの公的支援が受けられなければ、廃線を避けようがないという差し迫った状況にありました。 会員になりませんか 鹿島鉄道をぜひ守りたいと考えた私達は、「鹿島鉄道を守る会」を結成して、広くたくさんの人達に鹿島鉄道に関心を持ってもらい、存続に向けた公的支援を呼びかけるとともに、鹿島鉄道が地域の鉄道としていつまでも走り続けて欲しいと願っています。。「現在の鹿島鉄道を守りたい」の1点で、賛成していただける方は、ぜひ会員になって下さい。 沿線住民に関心を持ってもらいましょう 鹿島鉄道の利用者は年間およそ100万人です。その多くは子供、お年寄り、高校生です。沿線の住民の多くはあまり利用していませんから、鹿島鉄道そのものに関心を持っていないのが現状だと思います。まず、多くの人達に鹿島鉄道に関心を持ってもらえるような取り組みをしたいと思います。そのアイデアをみんなで出し合いましょう。 自治体に公的支援を要請していきましょう 鹿島鉄道も様々な経営改善策を実施しています。大幅な利用者増が望めない中では、それにも限界があります。地域住民の足、公共交通機関として存続するには、公的支援が不可欠です。鹿島鉄道対策協議会に加入している沿線自治体と茨城県は公的支援を決定しましたが、当面2002年度から5年間だけとなっています。 鹿島鉄道への公的支援のあり方については、こちらをご覧下さい |
茨城県の地方鉄道「鹿島鉄道」(非電化)は2度目の存続の危機を迎えています。1度目の2002年の時には、沿線自治体が鹿島鉄道対策協議会を結成して真剣に検討した結果、茨城県も加わって、2002年度から2006年度までの5年間に約2億円の公的支援を行うことが決まり存続しました。その支援の期限まであと1年余となりましたが、対策協議会の動きは鈍く、真剣な検討はなされていない状況です。営業収入は前年度維持に近い状態ですが、乗客の漸減が続いているうえ、親会社の関東鉄道がつくばエクスプレスの影響で高速バス部門が大打撃を受けているために、従来のような支援は不可能であると表明しています。 親会社と沿線自治体(茨城県を含む)の支援がなければ、存続は不可能です。このままでは今年3月末までに、会社(決定権は親会社にある)が廃線届を出すのではないかと危惧しているところです。対策協議会の事務局は沿線自治体の合併がすべて終了し(4つの市が誕生)、新しい市長が出揃う今年5月以降に存続問題を本格的に議論したいという意向のようですが、会社側がそれを待ってくれる保証はないようです。茨城県の担当課である企画課は、DMV(線路と道路の両用車)の導入による百里空港(航空自衛隊百里基地の民間共用化、2009年ころ開港?)へのアクセスルートでの存続も検討しているようです。親会社が廃線届を準備しているというのに、中心になる行政側の動きがあまりにも鈍い。 《かしてつブルーバンドプロジェクト》 みなさんにもブルーバンドの普及と3月19日の参加で、ご協力いただければと思います。なお、公的支援の継続を求める署名も行っています。 詳しくは、HPをご覧下さい。小川高校HP(http:///www.ogawa-h.ed.jjp)左メニューの「かしてつ応援団」をクリックして、ブルーバンドプロジェクトのページを開いて下さい。 |
いよいよ鹿島鉄道存続の正念場を迎えました。鹿島鉄道対策協議会が「公的支援の継続」に一定の見通しをつけられないでいる現在、公的支援が切れる2007年3月末の1年前である今年3月中に、会社が廃線届を出す可能性が強まっています。 あけまして、おめでとうございます。この3年有余の間、鹿島鉄道の存続のために協力していただいたみなさんに、あらためてお礼を申し上げます。2005年は存続問題の山場になるはずの年でしたが、沿線住民、中学・高校生などの存続活動は盛り上がったものの、会社と自治体との真摯な存続に向けた協議は行われませんでした。「かしてつ応援団(沿線中高生徒会連絡会、加盟16校)は1万を超える「公的支援の継続を求める署名」を集めて12月に対策協議会に提出しましたが、その提出の場でも今後の見通しについてのきちんとした説明はなされませんでした。親会社の関東鉄道はつくばエクスプレス開業による経営環境の予想以上の悪化を前に、支援の困難さを訴えています。 3月末までに「公的支援継続」の見通しをつけなければ、廃線の悪夢は現実のものとなってしまいます。私たちは公共交通機関である鹿島鉄道を守るために、鹿島鉄道への関心と支援の輪を、これからの3ヶ月で大きく広げていかなければなりません。さいわい、沿線住民有志による「かしてつブルーバンドプロジェクト」が3月19日を目標に動きだしています。みんなの力をこのプロジェクトに結集し、成功させることで鹿島鉄道の存続を実現しましょう。 |
今年は「鹿島鉄道の未来」にとって、大きな山場を迎えることになります。県と沿線自治体による公的支援は5年間約2億円ですが、2002年度から始まりましたので、2006年度(2007年3月末)までとなっています。公的支援がなければ存続は困難ですから、年内には支援を継続するかしないかを検討して決定しなければならないでしょう。このような意味で今年は最大の山場を迎えるのです。 昨年は鹿島鉄道対策協議会、鹿島鉄道支援会議、かしてつ応援団の3つの組織が連携して「駅のイルミネーション」を実施することができました。また沿線住民の活動もみられるようになりました。会社側との協力して現在は「ぬり絵列車」も運行しています。徐々に支援の動きが住民のものになりつつありますが、まだまだ不十分です。にもかかわれらず「公的支援継続の是非」を検討しなければならない時期になってしまいました。 沿線市町村は合併問題で揺れています。石岡市、玉里村、小川町、玉造町、鉾田町とすべての市町村が合併問題を抱えています。市町村の「鹿島鉄道支援」担当部署は「合併」担当部署になっていますので、じくりと「公的支援問題」を検討できる状況にはないでしょう。住民(高校生も)の存続運動が盛り上がったにもかかわらず日立電鉄線は今年3月で廃線になってしまいます。茨城県は地元が存続でまとまらなかったということで支援をしませんでした。 「鹿島鉄道を守る」の一点で、関係者、関心のある人々は協力していかなければなりません。このままでは存続は厳しいと思います。みんなで知恵を出し合って活動していきましょう。 |
2004年、鹿島鉄道存続のためにさらなる飛躍を!
あけましておめでとうございます。
2003年は関係者の努力により、鹿島鉄道関係のイベントがたくさん行われました。また、鹿島鉄道を支援するための組織が新たに2つ(鹿島鉄道活性化検討委員会と鹿島鉄道支援会議)発足し、鹿島鉄道対策協議会と共に、鹿島鉄道を支える体制が整いました。今年3月で5年間と限定されている公的支援の2年度目が過ぎ、公的支援も中間点にさしかかります。
2004年は、鹿島鉄道が2007年4月以降も存続できるかどうかを占う大切な1年間になります。私たち支援する側も、会社さらには沿線の方々と共に、鹿島鉄道が地域に必要とされる鉄道にもっともっとなっていくために、知恵と力を出していきたいと思います。今年もみなさんのご協力をお願いします。
未来へ走れ!鹿島鉄道 2003年10月
2001年12月からのおよそ1年間は、鹿島鉄道は存続か廃止かで大揺れに揺れました。鹿島鉄道対策協議会が5年間の公的支援を決定し、茨城県も支援を決め、存続問題にはいちおうけりがつきました。守る会はHPを作る程度の活動しかできませんでしたが、微力ながら貢献できたのではないかと思っています。
鹿島鉄道はあと約4年の存続が保障されたというだけで、その後の見通しはたっていません。現在は、鹿島鉄道が未来に走れるように、「地域に密着した鉄道」「みんなに愛される鉄道」「地域づくりと一体となった鉄道の運営」「利用者を増やす工夫」などが真剣に考えられ、徐々に実行されています。国土交通省が中心となって「鹿島鉄道活性化検討委員会」が開催されています。11月には「鹿島鉄道支援会議」が発足する運びになっています。私達もその話し合いの場に加わり、アイデアを出していきたいものです。
全国のローカル私鉄の中で、黒字経営を達成している津軽鉄道や島原鉄道、松浦鉄道などのやり方を学ぶ必要性を痛感しています。このHPの「ローカル私鉄探訪記」に載せてありますので、ぜひご覧下さい。
これからも鹿島鉄道が未来に走ることを願って活動しますので、ご協力のほどよろしくお願いします。