2007年3月30日 讀賣新聞
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石岡南台駅前に柔らかな歌声が響いた。鹿島鉄道応援バンドを自任する「サウンドWrap(ラップ)」が3月17日に開いた屋外コンサートは、1982年作のこの「鉾田線」という曲で幕を開けた。
「鉾田線」は鹿島鉄道の別名。コンサートは「83年間ありがとう 鹿島鉄道」とのメッセージが添えられ、約70人の聴衆が集まった。
ボーカル、ギター、フルート、キーボード――。7人のメンバーはいずれも鹿島鉄道沿線に工場がある「クレハ」の社員。だれもが「愛着がしみた鉄道を沿線の市民と一緒に見送ろう」と考えて、この日の演奏に立った。
「鉾田線」はギターやドラムなどを担当する佐川秀光さん(51)と妻の純子さん(49)が作詞・作曲を手がけた。夫婦は佐川さんの転勤で81年、福島県いわき市から旧玉里村(現小美玉市)に越してきた。
佐川さんは通勤には鹿島鉄道を使った。車窓を流れる景色やガタンゴトンとのんびりした走りがとても気に入った。音楽好きで、さっそくバンドに誘われた。
しばらくして、純子さんが石岡から乗った列車の車内で、隣り合った女性から「どこまでいくの」と声をかけられた。見ず知らずの土地に来て心細かった純子さんの心に、何気ないひと言が温かく広がった。
純子さんはそんな喜びを即興の鼻歌にして口ずさみ、佐川さんが「いい歌だね」と譜面に起こした。こうして「鉾田線」が生まれた。
バンドは障害者施設に慰問に出かけるなど、地元に根付いた活動を続けた。2005年秋、神社のお祭りで「鉾田線」を聴いた存続運動の関係者から「運動に加わってはくれないか」と頼まれた。
佐川さんらは「私たちにも欠くことのできない生活の足。存続のお役に立つのなら」と喜んで承知した。以来、車内を演奏会場にするバンド列車も3回行った。
翌06年6月、もう一つの代表曲「未来へ走れ 鹿島鉄道(春色の風)」(2006年)が誕生した。作詞・作曲は佐川さん夫婦。菜の花畑や春の日差しを受けて光る霞ヶ浦を走る列車などをイメージした。もちろん、全編に鉄道存続の願いを込めた。
だから、廃線決定には肩を落とした。バンドができることと言えば、惜別の演奏だけだった。
17日のコンサートのフィナーレに「未来へ走れ」の前奏が流れ出すと、聴衆が一斉に手拍子を始めた。そこに別れの寂しさはなく、感謝の笑顔ばかりが並んだ。
廃線の31日、バンドは玉里駅脇で演奏する。秀光さんは「いろいろな出会いをくれた鹿島鉄道にねぎらいの気持ちを込めたい」と思っている。そして、その後もずっと、「鉾田線」と「未来へ走れ」を大切に歌い続けていく決心をしている。
(おわり。この連載は野倉早奈恵と福元洋平が担当しました)