2007年3月28日 讀賣新聞

(3)夫の死 廃線乗り越え

「お客の期待生きがい。体力続く限り」

写真:写真説明
「おいしい」と評判の加瀬さんのたい焼き
 「間もなく鉄道も駅も無くなってしまうなんて。まだ信じられないですよ」

 鹿島鉄道鉾田駅の一角にある売店。たった1人の店員の加瀬利子さん(63)(鉾田市半原)は、しっぽまであんが詰まった名物のたい焼きを焼く手を休め、ため息をついた。額は汗でいっぱいだった。

 たい焼きを焼いて、ざっと30年。おなかをすかせた高校生や甘いもの好きなサラリーマン、手みやげに買い求めていく人――。かつては大勢の客で繁盛したが、鉄道利用客の減少とともに注文は減っていった。

 それが最近は廃線を惜しんでやって来る鉄道ファンが列を作り、土日には昼食を取る暇もないほど忙しい。「廃線が決まってから急に売れるなんてね。皮肉だね」。苦笑いに寂しさが混じった。

 18歳で当時の「鹿島参宮鉄道」に入社し、約7年間、バスの車掌をした。そこで運転手だった吉男さんと出会い、結婚。しばらくして売店に勤めが変わった。

 しかし、吉男さんは11年前の1月、風呂から上がった直後に倒れ、亡くなった。心筋梗塞(こうそく)だった。まだ61歳。長男の成人式が間近だった。

 突然、夫を失ったショックに底はなかった。「どうして」と天をのろった。何も手につかず、店も2か月休んだ。そのまま辞めてしまおうかと真剣に考えた。

 すると、なじみの客から慰めと激励の声が届いた。「辞めないで頑張って」「私のうちでも主人が亡くなったときは大変だったよ」

 闇に光がさした。「お客さんの笑顔があれば、いやなことも忘れられる」。ようやく心に張りが出て、再び店に立つ気になった。

 それからは女手一つで店と家庭を支えた。高校生の恋愛相談に乗り、病院に通うお年寄りにいたわりの言葉を贈った。せめてもの恩返しだった。

 「あの時辞めていたら、自分がまいっていただろう」。振り返ると、そう思えて仕方ない。

 だが、夫に続き、鉄道も駅もそっくり無くなるという運命が待ちうけていた。「今度こそ、辞めようか」と悩んだ。

 しかし、また常連客が引き留めた。「これからも買いに来るから、まだまだ、たい焼きを作り続けてよ」。願いは通じ、駅前にあるバスの発着所そばの建物で店を続けることになった。

 廃線は残念で仕方ない。でも、沿線で暮らす人、たい焼きを「おいしい」と喜んでくれた人は変わらない。「みんなの期待こそ、生きがい。体力の続く限り続けよう」。今度の誓いは固く固く守っていくつもりだ。