2006年9月5日 茨城新聞

<1> 歴史と現況 利用者数3分の1に
 鹿島鉄道線(通称かしてつ、営業距離・石岡市−鉾田市間二十七・二`)が廃線の危機にひんしている。関東鉄道の支援打ち切り決定を受けて民間鉄道「鹿島鉄道」(本社・石岡市)が今年三月、国土交通省に沿線自治体などの五年間の支援措置が切れる来年三月末での廃止届けを提出。沿線自治体や県、鹿島鉄道などでつくる鹿島鉄道対策協議会(会長・横田凱夫石岡市長)は、この届け出を受けて対策を検討。「存続」か「廃止」かの議論を続けている。今月中にも一定の方向が示される見通しだが、八月に入って民間の支援の輪が広がりを見せている。沿線から「鹿鉄問題」を報告する。

 鹿島鉄道は、親会社である関東鉄道の前身「鹿島参宮鉄道」が数度の免許獲得の後、一九二八年に浜駅−玉造駅間の開通を経て二九年、やっと現在の石岡−鉾田駅間が全通した。
 関東鉄道社史など一連の資料で鉄道敷設免許取得の変遷をみると、この「鹿島参宮鉄道」構想は、もともと常磐線の高浜駅から霞ケ浦沿岸を通り延方に至る全長四十四・三`の鉄道だった。
 一九一三年に同構想を具体化、翌年免許を取得したものの、不況で会社設立できず三年後に免許失効。二一年に行方鉄道の名称で石岡−玉造駅間で免許を取得し、翌二二年「鹿島参宮鉄道」に会社名を変更した。「参宮鉄道」は、その後も免許の獲得と失効を繰り返し昭和に入って石岡−鉾田駅間が全通した。
 交通史の研究者で元茨城大学教授、鉄道専門誌の編集委員などを務める中川浩一さん(神奈川県在住)は、「建設計画は玉造−麻生−延方で、北浦対岸の大船津から渡船と記憶しているが、当時株式応募者が多かった鉾田に(路線を)曲げたようだ」と語る。これを裏付けるかのように、市幹部の一人は「学生時代、鉾田町内では株主定期を借り受ける相場があった。自分も払って借りた」と証言している。

 鹿島鉄道が今年三月末にまとめた旅客輸送実績によると、昨年度の年間利用者数は七十七万五千人。一九七九年度を100とする指数では39・5と、実に三分の一強まで利用者は落ち込んでいる。しかもジェット燃料輸送の中止後、支援協議会の支援が始まってからの過去四年間を見ると漸次減少し続けている。
 各駅の一日当たりの乗降者数も七九年度が石岡駅で定期・定期外合わせて三千五百二十三人だったのに対し、昨年度は千五百二十四人にまで減少した。鉾田駅でも七九年度が計千三百八十五人だったのに対し、昨年度は三百十六人、指数でみると22・8と二割にすぎない。

 しかし、中川さんは「日立電鉄線と違い、鹿島鉄道線の場合は県にも責任がある。つくばエクスプレス(TX)には本県をはじめ一都三県が無利子で莫大(ばくだい)な資金を貸し付け、運賃まで指導している。関東鉄道が鹿島線から手を引いたのは、TXの開業でこれまでドル箱路線だった都内への高速バス路線が赤字となったため。融資をしている県が廃線届けの引き金を引いたことになる」と、指摘する。
 県企画部によると、TX線への無利子融資は二〇〇七年度まで予定されており、総工事費の40%を融資する計画。建設費は当初見込みで約八千三百億円。無利子融資額は一都三県で合計三千三百二十億円。本県負担分は東京都に次ぐ二番目の負担額で、およそ九百九十六億円にのぼる。少なくとも県は善後策を示す責任があるのではないだろうか。

【写真説明】
乗客が激減した駅の待合室=小美玉市の常陸小川駅