2006年9月17日 毎日新聞
◆交通弱者のために
◇必要な「地域作り」の視点−−将来見据えた幅広い議論を
「鹿鉄がなければここへは来なかった。石にかじりついてでも鹿鉄を残したい」。石岡市南台2に住む佐古田実さん(75)は、定年間際だった89年、鹿鉄の石岡南台駅までの近さを売りにする南台地区に東京都内から移ってきた。廃線となれば移動手段が狭まるだけに存続運動に取り組むが、「生活の中で鹿鉄の音を聞くのが当たり前」という環境の中、足が少しずつ鹿鉄から遠のいていたことへの自戒の念も浮かぶ。
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「乗客が減って大量輸送機関としての役目を果たさなくなっている」。阿久津弘基・鹿鉄専務は「廃線やむなし」の現状を語る。存続策を探る荻沼雅光・石岡市企画部参事も「明るい材料が何もない」。交通手段として鹿鉄が置かれた現実は「遅い、高い、汚い」の「3悪」。さらに運行本数が少なく、沿線のマイカー化、少子化という流れも重なり、まさに追い込まれた状態だ。
しかし、厳しい現実を知った上で、それでも存続を後押しする意見も多い。富山県高岡市の路面電車「万葉線」は、98年に廃止が表明されたが、市民運動と行政が一体となり、02年に第三セクターとして復活した。
活動の中心になった住民団体「RACDA高岡」の島正範会長(47)は「住民投票をしていたら、廃線だったかもしれない」と振り返りながら、「赤字だけを見るのでなく、社会全体で見れば運行赤字を上回る」と語る。バスにはない電車の利点として、街のシンボルになる▽市街地に人の流れを作る▽学生に学校選択の幅を与える▽環境問題、高齢化社会に適応できる、などを挙げる。
筑波大大学院の石田東生(はるお)教授(55)は「現状では、廃線で本当に困る人は誰もいないのでは」と指摘する一方で、「鹿鉄がないと移動できない高齢者や、通学できない学生といった交通弱者はいる。沿線住民でなくとも、長い目で見ればいずれ(交通弱者になるという問題は)自分へ返ってくる」という。
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収益、乗客数、今後必要な支援金額といった「数字」に関する議論だけを繰り返すなら、鹿鉄の存続は難しい。だが、交通弱者に思いをはせ、「将来の地域づくりの中で、必ず電車が必要になる」(島会長)という発想を多くの人が持てば、存続への道が開けると指摘する声もあることは確かだ。「住民の足」が残るのか、廃止されるのか。住民一人一人が「鹿鉄」をどう考えているかが、問われている。(この企画は清野崇宏が担当しました)
毎日新聞 2006年9月17日