2007年3月31日 毎日新聞

鉄路とともに:ありがとう鹿島鉄道/下 それぞれの廃線 /茨城

 「(転居は)人生で最大の失敗かもしれない」。鹿島鉄道石岡南台駅前に広がる石岡市南台地区。2丁目の自治会長を06年まで15年間務めた佐古田実さん(76)は、怒りで語気を強めた。

 同地区は、駅までの近さを売り文句に旧都市基盤整備公団が造成。87年から売り出し、各地から住民が集まった。1丁目から4丁目まで延べ約75ヘクタールに約1300戸が整然と並ぶ。「ここに移ってきたころは、家が増えるごとに乗客も増えた。『かしてつ』が廃線になるなんて思いもしなかった」

 東京都内の保険会社に勤めていた佐古田さんは89年、競争率10倍超の建売住宅の抽選に当たり、都内から家族と引っ越してきた。退職までの5年間、南台から「かしてつ」とJRを乗り継いで都内に通った。住宅ローンは25年で組み、82歳になるまで支払いが続く。「もう一度ここの住民たちが一つになって、『かしてつ』抜きでの地区の発展を考えないといけない」。沿線では間もなく、「『かしてつ』のない日常」が始まる。

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 「泣いている『かしてつ』を見て見ぬふりはできなかった」。関東周辺の鉄道ファンで作る「関鉄レールファンCLUB」会長で写真家の十文字義之さん(42)は、存続活動に参加した動機を振り返る。

 会員36人の大半は「かしてつ」沿線とは直接関係のない関東周辺に在住する。同CLUBはそれを逆手に取り、「イメージを売るだけのイベントではなく、客観的な視点に立ち、結果として運賃収入に返ってくる仕掛け」を考えた。貸し切り列車で石岡−鉾田間を往復する「みんなでカシノリ」は、06年4月から計5回の開催を重ね、参加者約700人を集めた。「かしてつ」の魅力を沿線外の人に伝える人気イベントになっていた。

 同会は00年、鉾田駅の資材置き場を改装し、オリジナルの鉄道模型や写真パネルを置くギャラリーを開設した。同駅は廃線後に間もなく取り壊される予定のため、「かしてつ」の親会社に当たる関東鉄道の常総線下妻駅にギャラリーを移す計画だ。「地方鉄道は、運行会社単独でやっていける時代ではない。次は常総線で活性化に貢献したい」

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 「結果が廃線だからといって、5年間が無駄になったわけではない」。沿線の中学・高校計16校で作る「かしてつ応援団」の最後の会議が18日、貸し切り列車を会場に開かれ、同応援団顧問の栗又衛・県立小川高教諭(50)が生徒たちに語りかけた。02年7月の発足以来、約1万7000筆の署名とPR活動の資金約310万円を募金で集め、関東鉄道や石岡市長、県知事らへ陳情してきた。

 「高校生が存続運動の中心になれたのは立派。昨夏以降、大人たちの団体の活発な動きを刺激できた」。栗又教諭は「教育活動の一環」で始まった応援団の存続活動を、大きく評価している。駅のホームや車両内に掲げた看板、ポスターなどで利用者に存続を呼び掛けた。メディアに何度も登場することで、沿線はもとより全国に向けてメッセージを送り続けた。存続活動のシンボル的存在であり続けた応援団は、31日、「かしてつ」廃線と共に解散する。【清野崇宏】