2007年3月30日 毎日新聞
「今日は開店以来、初めての売り切れ」。鹿島鉄道の廃線まで、1週間となった24日、行方市内で唯一の有人駅、玉造町駅にあるそば屋「田舎の台所」は満席だった。湯気が立ちこめる店内で、経営者の井上初江さん(72)は、かき揚げを作りながら笑顔をみせた。
「沢山(たくさん)の思い出を胸に閉店させていただきます」。感謝の張り紙が表にある。土浦市出身の井上さんが店を始めたのは3年前。売り上げが1000円に届かない日が続き、「よそ者が」と心ない言葉を浴びせる酔客もいたが、徐々に心をつかんだ。物をはっきり言う人柄に引かれ、悩みを打ち明けに来る客もいるという。
廃線後の出店予定はない。「今からは孫の面倒を見てやりたいな」。自慢の一品「そばずし」は、そばが苦手だった井上さんが自ら考案した人気メニュー。「『おばちゃん、これどこ行ったら食べられる?』って言われるけど……」
◇ ◇
玉造町駅の東隣にある榎本駅には、かつて7基の航空燃料備蓄タンクが置かれ、67年から航空自衛隊百里基地(小美玉市)にパイプラインで供給していた。千葉や神奈川方面から常磐線で運ばれたタンク車が、石岡駅で鹿島鉄道に入線。機関車1両につき50トンのタンク車を最大5両連結し、運転士は制服でなく、作業服で機関車に乗り込んだという。
航空燃料輸送による安定収入は鹿島鉄道の経営を支えたが、パイプラインの老朽化で02年に廃止。その後、燃料輸送はタンクローリーによる陸送に代わり、備蓄タンクも撤去された。運転士として航空燃料を運んだことがある運転指令室の本多政巳助役(40)は「玉造町駅からの上りの急こう配がきつかった。車両故障で止まるわけにはいかないから気を遣いましたよ。機関車に(タンク車が)いっぱいつながっているのは、小さい子供にも楽しかったでしょう」と懐かしげだった。
◇ ◇
霞ケ浦を望む桃浦駅の木造駅舎横に黄色いスイセンが咲いていた。「私が駅長のころ、植えたんだよ」。85年に無人化された桃浦駅最後の女性駅長、田崎由枝さん(67)が指差した。68年から17年間、駅長として周辺住民からも「肝っ玉母さん」と親しまれた。
田崎さんは男3兄弟を育てながら毎朝午前6時から駅務をこなし、正月には着物姿で改札に立った。当時、駅舎に隣接して建っていた住居は「霞ケ浦から風が来て、雨が漏ってひどかった」と笑う。駅は1日約200人の利用客と、駅舎を遊び場にする子供らでにぎわい、鉄道で買い物に出る母親らの「託児所」の役割も果たしていた。
駅前の広場で野球をしたり、駅舎内で絵を描いて遊んだりしていた子供らが、今は自分の子供を連れて田崎さんに会いに来るという。「いいおじさんが『あの時、世話になったな』なんて言うんだよ」と、少年たちが写ったモノクロ写真に目をやった。
「列車の音が朝起きる目覚ましになるわけよ。いざなくなると思うとね」。桃浦駅近くで暮らす田崎さんは、廃線までの日を指折り数える。桃浦駅長を退いたのは22年前の3月31日だった。【山崎理絵】
==============
◇廃線まであと1日