2007年3月29日 毎日新聞

鉄路とともに:ありがとう鹿島鉄道/上 終着駅のぬくもり /茨城

 1929(昭和4)年の開駅当時の姿を残す木造駅舎の鉾田駅。廃線が明らかになって以来、東の終着駅は列車の折り返しを待つ大勢の乗客、鉄道ファンらでにぎわう。

 「ホコタのマップ! どうぞ」。スウェーデン出身のヤン・ヘニックスさん(52)は、土日を中心にホーム脇に立つ。沿線の見どころを紹介する地図と、農家から譲り受けた地元産ニンジンなどを乗客に手渡しながら、「かしてつ」の存続を訴えてきた。

 ヤンさんは、同国ストックホルムの大使館職員だった妻の由美さん(61)の退職を機に06年8月、同国を離れ全くゆかりのない鉾田市に移り住んだ。温暖で海が近く、小さな鉄道が田園に溶け込む風景にほれ込んだ。

 「線路も車両もすべてそろっているのになぜ廃線なのか。スウェーデンなら市民がデモを起こすだろう」。今の目標は、廃線ではなく「休止」に持ち込むこと。「まだ終わりじゃない。存続運動は始まったばかり」。握った拳は野菜の水洗いであかぎれていた。

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 「よく頑張っているな」。ヤンさんに感心しながら、鉾田駅の改札口では駅員の小池勉さん(71)が対応に追われる。

 東京都内の印刷会社に勤めていた小池さんは、退職後の01年8月、嘱託社員として同駅の駅員になった。交代制で、勤務日には午前7時から午後6時まで一人で業務をこなす。「『古い駅ですねえ』と声をかけてくれる乗客に『どちらから来たんですか』と返す。一期一会を大事にしてきた」。石岡駅を除く三つの有人駅の駅員計5人はすべて嘱託。廃線と同時に全員が辞めるという。

 蛍火や終着駅に母が待つ

 俳句歴55年という小池さんの自信作の一句が今月から、玉造駅近くの和菓子屋の包装に採用された。自宅のある石岡市に向かう仕事帰りに、「かしてつ」の車窓から、霞ケ浦の湖面に映る町の灯を見て浮かんだ句。仕事場でもある終着駅の鉾田駅に、他界した母の年齢に近付く自分を重ね合わせた。「かしてつの歴史も終着駅に近づいている。一度失ってみなければ、その大きさは分からないかもしれない」

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 小池さんが立つ改札口のある駅舎内に「たい焼き100円」の張り紙がある。3畳ほどの店舗で加瀬利子さん(62)が、油のなじんだたい焼き器をフル回転させている。通常1日200個ほど売れる人気が、鉄道ファンらが列を作ることもあって、最近は4倍増近くになっているという。「最初からこれぐらい乗ってくれていたら……」

 「大きなヘラで、あんをたくさん入れるのがうちの自慢」。加瀬さんは照れ笑いする。89年夏以来18年間、一日も休まず一人で店を切り盛りし、発車時刻を待つ乗客らに温かいたい焼きを提供してきた。「『また来るよ』という乗客に励まされながらやってきたのに、『かしてつ』が本当になくなるなんて」。廃線後、駅舎向かいのバスターミナル脇の飲食店に場所を移す予定だが、「向こうへ移っても、あんをたくさん入れてみんなに食べさせてあげたい」。【清野崇宏】

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 「かしてつ」の愛称で親しまれる鹿島鉄道(石岡−鉾田間、27・2キロ)が、31日に廃線となる。鹿島参宮鉄道として1924(大正13)年、石岡−常陸小川間に開通してから83年。なくなってしまう鉄路を惜しむ、沿線のさまざまな表情や思いを記録する。

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 ◇廃線まであと2日

毎日新聞 2007年3月29日