2006年12月25日 茨城新聞
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鹿島鉄道が廃線 公募2団体不採用 82年の歴史に幕 来年3月31日
2006/12/25(月) 本紙朝刊 総合1面 A版 1頁

 鹿島鉄道(石岡−鉾田、二十七・二`)の存廃問題で、沿線四市と県で構成する「鹿島鉄道対策協議会」(会長・横田凱夫石岡市長)は二十四日、石岡市内で記者会見し、同線の存続を断念すると発表した。運行を引き継ぐ事業者の公募に名乗りを上げた二団体について審査した結果、「いずれも応募条件に満たない」などとして不採用とし、最終判断を下した。今後は代替バスの運行を関鉄グリーンバス(石岡市)に要請する。鹿島鉄道は廃止届の出ている来年三月三十一日で廃線となり、八十二年の歴史に幕が閉じられる。(19面に関連記事)
 対策協議会は、先月の会議で、鹿島鉄道への財政支援を本年度で打ち切ることを決定。代わって同線の運行を引き継ぐ事業者を公募し、存続の可能性を探ってきた。
 公募に応じたのは市民団体の「鹿島鉄道存続再生ネットワーク」(長谷川功代表)と東京の旅行企画会社「トラベルプランニングオフィス」(中尾一樹代表)の二団体。これまでに二団体から提案のあった鉄道の運行計画や安全性、採算性などを審査してきた。
 審査結果について同日、石岡市内で沿線四市の市長と県の企画部長が会見。対策協議会長の横田市長は「残念ながら、いずれも採用しかねる」と二団体の不採用を公表した。その上で、不採用の理由の一つとして「自治体が支援上限として定めた六億五千万円(五年間)を超える負担が生じる可能性が高く、鉄道の安定した継続を担保できない」と述べた。
 対策協議会が事業者公募に際し、運行引き継ぎの前提とした鉄道用地・施設の無償譲渡や新会社を設立するまでの「つなぎ運転」については、「(鹿島鉄道が)用地を債務弁済に充てることや安全運行面で難しく応じられないという回答を示してきた」と説明。
 横田市長は今回の結果を踏まえ、「公募は鹿島鉄道存続のための最終手段として実施したが、残念ながらうまくいかなかった。本日をもって、鹿島鉄道の存続は断念したい」と語った。
 今後は、代替バスについて速やかに協議していきたいとして、正月明けにもバス会社に対し、国土交通省への路線バス認可申請を行うよう要請。「行政側としても市民の足確保に努めたい」とした。(塚本宣夫)

将来への展望開けず
 麦島健志県企画部長 非常に残念。この地域に将来にわたって鉄道を置くということに展望が開けなかった。

熱い要望応えられず
 島田穣一小美玉市長 かしてつ応援団や市民団体の熱い要望があったが、期待に応えられず非常に残念。

断念せざるを得ない
 鬼沢保平鉾田市長 公募に応じた二団体を審査したが、採用には至らなかった。地域の要望もあったが断念せざるを得ない結果となった。

鉄道なくなるのは残念
 坂本俊彦行方市長 こういう結果が出て行方市から鉄道がなくなるのは残念だが、やむを得ない。
【写真説明】
鹿島鉄道の存続断念を表明する沿線4市の首長ら=石岡市茨城のグリーンパレス石岡

地域の足、無念の消滅 「代替バス」に不安も
 鹿島鉄道線の存続・再生を目指し同鉄道線の運行事業者公募に応募した二者の提案は、同鉄道対策協議会の審査で二十四日、いずれも退けられ、来年三月末での廃線が決まった。提案の採用にわずかな望みを託していた鹿島鉄道存続再生ネットワークのメンバーや高校生らは、クリスマスイブに届いた“悲報”に肩を落とした。県内民鉄の廃線は、最近では二〇〇五年三月の日立電鉄線以来。茨城交通湊線も存続できるか予断を許さない状況で、民鉄を取り巻く状況は依然として厳しく、交通弱者の足は少なくなる一方だ。
 同ネットワークの長谷川功代表は記者会見し、「市民による株式会社の設立を前提に応募したが、参入できなかった。廃線は残念。憤りを感じる」と無念の表情を見せ、時折声を詰まらせた。
 かしてつブルーバンドプロジェクト実行委員会の菅原太郎委員長は「歴史ある鉄道をわれわれの世代で救えず、私財を投じて鉄道を敷いた先人と、後世の人たちに申し訳ない」と涙ながらに話し、「道路や港がどんどん造られる一方で、環境にやさしい鉄道がなくなっていく」と憤った。
 小美玉市内から石岡商高に通う押久保幸枝さん(一年)は「家が自営業なので親が忙しく、かしてつがなくなっても、学校まで車で送り迎えしてもらうのは難しい。バスになると、道路がいつも込んでいて時間がかかる」と不安を口にする。同じく小林あさひさん(二年)は「バスは常陸小川駅を通ってほしい。部活をやっているから、遅くなってもちゃんと帰れるよう、便数を多くしてもらいたい」と注文をつける。
 沿線の中学・高校生らで構成する「かしてつ応援団」顧問の栗又衛・小川高教諭は「今は高校生の通学の足を確保するのが一番の課題。行政は早急に説明会を開くべきだ」とし、さらに行政と住民、バス事業者などによる協議会の開催を訴える。
 鉄道の存続再生を目指し全国に協力を呼び掛けた基金には、この日までに二千二百万円を超える寄付予約があった。善意は生かせなくなり、存続再生基金の諸岡信裕代表は「地域の鉄道がドミノ倒しのようになくなり、交通弱者の交通手段がなくなっていく」と警鐘を鳴らした。
 長谷川代表は「鉄道は社会資本。地方鉄道の在り方、枠組みが変わってきているのに、沿線住民を含め、旧態依然とした対応しかしていなかった」と廃線の原因を分析。一方で、原因の一つに「人任せ、他人頼みの風土」を挙げた。

2006年12月25日 讀賣新聞
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存続の願い届かず
鹿島鉄道廃線決定

 官民で存続の道を探ってきた鹿島鉄道が来年3月末をもって、80年余の歴史に幕を閉じることが24日、決まった。県と沿線4市でつくる対策協議会(会長・横田凱夫石岡市長)が、新事業者選定のための公募が審査の結果、不調に終わったことを報告するとともに、存続断念を発表した。対策協は解散し、県と4市は今後、代替バス運行に向けた協議に入る。

 公募には都内のイベント企画会社「トラベルプランニングオフィス」(中尾一樹代表)と地元住民で作る「鹿島鉄道存続再生ネットワーク」(長谷川功代表)が応募した。どちらも鉄道事業者の免許を持っていないが、独自の事業計画を練り、17日、対策協に説明した。

 対策協は鉄道の設備、運行、要員計画の分野や安全性、収支採算性、利用者ニーズなどの点から、双方の計画の中身を専門家と共に審査した。その結果、「どちらも適格性を欠き、採用できない」との結論に達したという。

 不採用の理由について横田会長は、〈1〉新事業者の負担は、対策協が決めた来年度からの5年間で6億5000万円との支援額を超える見込みで、鉄道の安定した継続を担保できない可能性がある〈2〉2者が事業継承の前提として鹿島鉄道と親会社の関東鉄道に依頼した鉄道用地、施設の無償譲渡や貸与、「つなぎ運行」を断られたこと、などを挙げた。

 横田会長は「これ以上鹿島鉄道の問題を引き延ばすと、4月1日以降の市民の足がなくなる」と対策協の活動打ちきりを宣言。代替バスの運行には「ルートやダイヤなどには行政もかかわるべき」と述べた。また、沿線住民に経緯を説明する場を設ける意思を示した。

■不採用2者強く批判■ 対策協の決定に、公募に名乗りを上げ、不採用とされた2者からは強い批判が起きている。

 ネットワークの長谷川代表は取材に、「私たちが目指した市民鉄道には限界があるのを覚悟のうえで応募したが、残念。憤りを感じる」と述べ、ト社の中尾代表も「関東鉄道など会社側と直接交渉する機会を与えられなかったことに怒っている」とコメントした。さらに、沿線の中高生が集まった「かしてつ応援団」の鬼沢友里団長(小川高3年)も「頑張ってきたことが何だったんだろうと思う」と無念さを言葉にしていた。

2006年12月25日 朝日新聞
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朝日新聞
廃線決定の知らせを聞きがっくりする応募者ら
鹿島鉄道、来年3月の廃線決定

2006年12月25日

廃線決定の知らせを聞きがっくりする応募者ら

 鹿島鉄道(石岡―鉾田)の「再生」を模索してきた鹿島鉄道対策協議会(会長・横田凱夫石岡市長)は24日、同鉄道の存続を断念した。引き継ぎ会社の公募に応じた2団体を「不採用」と判断し、80年以上の歴史を持つ同鉄道は来年3月で廃線になることが決まった。応募者も自治体側も落胆の色を隠せない中、今後は代替バスの本格的な準備が始まる。
 公募には、沿線住民らがつくる市民団体「『鹿島鉄道』存続再生ネットワーク」(長谷川功代表)と、東京の旅行会社「トラベルプランニングオフィス(TPO)」(中尾一樹社長)が応募していた。
 この日、対策協議会の沿線4市長と県企画部長が石岡市内で会見を開き、審査結果を発表。不採用の理由について、2団体とも5年間の支援額の上限6億5千万円を超える負担が生じる可能性が高く、安定した継続運行が保証できないと説明した。
 さらに、対策協議会は同鉄道に対し、施設・用地の無償譲渡(貸与)や来年4月以降も準備が整うまで運行を継続するよう求めたが、「財政状況などから保有資産の適正な譲渡により、早期に債務を弁済する計画」「運行継続には相当の費用を要し、人員は出向元の関東鉄道が引受先となる」などと回答され、引き継ぎは不可能と判断した。
 横田市長は「残念ながらうまくいかなかった。代替バスの検討協議もぎりぎりのところまで近づいており、これ以上引き延ばすと、来年4月以降の市民の足がなくなる恐れがある」と語った。
 同協議会は今後、関鉄グリーンバス(石岡市)と代替バスの準備にとりかかるが、財政支援については「何も決まっていない」としている。

 不採用の結果を受け、「鹿島鉄道」存続再生ネットワークは同日、会見を開いた。長谷川功代表は「新会社には信頼性と鉄道経営の見通しが求められたが、準備期間が短い中では限界があった。利用者、行政、事業者の一体感が十分に醸成されなかった」と語った。メンバーの栗又衛・小川高校教諭は、対策協議会の一連の議論について「利用者の意見が届く場がなかった」と指摘。「高校入試が迫っており、代替バスの案を早く示して欲しい」と求めた。
 TPOの中尾一樹社長は「鹿島鉄道・関東鉄道と『直接交渉したい』という希望はいまだ受け入れられていない。自治体の『本気度』が見えず、折衝能力に問題があるのではないか」とコメントした。
 一方、週に2、3回利用するという石岡市の僧侶(74)は「公募で何とかならないかと期待していたので残念。利用者負担を増やしてでもなんとか維持できないかと思っていたのだが」。静岡県内の私鉄に勤める男性(55)はこの日、石岡―鉾田間を数回往復したが、乗客は鉄道ファンばかりだったという。「これまで全国の廃線になる路線に足を運んできたけど、鹿島鉄道は地元の人が乗っていないひどい状況。私鉄の灯がまた一つ消えてしまうのは残念だけど、やむを得ないのかもしれない」
 同鉄道の従業員は「存廃は会社が決めることだから仕方ない」と言葉少なだった。

《解説》「1年は撤退を延期してもらわないと準備が間に合わない」。「鹿島鉄道」存続再生ネットワークの長谷川功代表は公募への応募前からそう漏らしていた。公募が決まったのは11月中旬、撤退まで残り時間は4カ月あまり。今回の決定は、対策協議会がもっと早く公募に踏み切っていれば、別の結果もあり得たのではないか、という後味の悪さを残した。
 鹿島鉄道の経営改善5カ年計画は来年3月で終わる。同鉄道は当初、来年度以降5年間の存続にかかる経費は7億7千万円と試算していたが、今年7月、車両の更新費などを上乗せし、約11億円が必要と修正報告した。
 対策協議会は10月末にようやく経費の圧縮案をまとめ、上限を6億5千万円とする支援計画を同鉄道に提示。しかし、圧縮の実現性を議論する以前に「血税の無駄」と拒まれ、公募を選択せざるを得なくなった。
 自治体側は手間がかかる公募より、同鉄道による存続にこだわり続けてきた。関係者は「5年前も存続に応じてくれたから、今回も大丈夫だろうという思いがあった」と言う。
 大詰めになって「血税の無駄」発言が出たのは、自治体側が同鉄道の意思をよく確認しないまま話を進めてきたからではないか。結果的に自治体側の見通しの甘さが貴重な時間を浪費したと言われても仕方がない。
 同鉄道も存続の意思がないのなら、早く明言すべきだった。必要経費を試算して存続に含みを持たせたことは、自治体側の公募への方針転換を遅らせる一因となった。
 鹿島鉄道の歴史は幕を閉じるが、沿線住民の生活はこれからも続く。代替バスへの移行は、利用者を最優先にした対応が求められる。(小林豪)
■■鹿島鉄道の歴史■■
1922年9月 鹿島参宮鉄道の設立
 24年6月 石岡―常陸小川間の営業開始
 29年5月 石岡―鉾田間の全線開通
 59年11月 京成グループ傘下に入る
 65年6月 常総筑波鉄道と合併、商号を関東鉄道に変更
 67年3月 百里基地への航空燃料の輸送開始
 79年3月 鹿島鉄道の設立
   4月 関東鉄道から鉾田線を譲り受け営業開始
2001年8月 百里基地への燃料輸送が打ち切られ、経営悪化が表面化
   12月 鹿島鉄道対策協議会の設立
 02年9月 経営改善5カ年計画(02〜06年度)が決定
 06年3月 鹿鉄が06年度での廃止を国交省に届け出る

2006年12月25日 毎日新聞
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鹿島鉄道廃線問題:2団体の計画不採用、廃線決まる−対策協
 来年3月での廃線を表明している鹿島鉄道(石岡−鉾田、27・2キロ)をめぐり、県と沿線4市でつくる鹿島鉄道対策協議会は24日、新事業者の公募に名乗りを上げた2団体の審査結果を発表した。いずれの団体の事業計画も不採用となり、同鉄道の廃線が決定した。来年4月1日以降、同鉄道沿線の公共交通は代替バスに引き継がれる。

 24日午後、石岡市内で開かれた記者会見で、対策協議会長の横田凱夫・石岡市長は「いずれの提案も採用しかねる結果となった」と発表。「本日をもって、鹿島鉄道の存続は断念する」と明言した。会見には、沿線4市(石岡、小美玉、鉾田、行方)の全市長が出席し、審査結果について、いずれも「廃線はやむをえなかった」との見解を述べた。応募した石岡市の住民団体「鹿島鉄道存続再生ネットワーク」の長谷川功代表(62)は、会見で「廃線という結果は悲しく、憤りを感じる」と涙を交えて話した。

 新事業者の公募は11日まで実施され、「再生ネット」など2団体が応募していた。対策協は、いずれの計画でも、今後5年間の支援額の上限として決めた6・5億円を超える負担が生じると判断。さらに、2団体が事業経営の前提として求めた鹿島鉄道からの鉄道用地・施設の無償譲渡(貸与)と準備期間としての1年間の「つなぎ運行」の2点に対し、同鉄道側が、債務弁済の優先や設備の安全性への懸念などを理由に断ったことが廃線の大きな要因となった。【清野崇宏】



東京新聞
鹿島鉄道廃線決定
『地域の事情 認識して』

 「本日をもって鹿島鉄道の存続は断念したい」。県と沿線自治体でつくる鹿島鉄道対策協議会は二十四日、同鉄道存続へ最後の望みを託した事業者公募について、名乗りを上げた二団体とも不採用とする結論を下した。これで同鉄道の廃線が事実上確定し、来年四月以降はバスが運行する予定だ。

 協議会会長の横田凱夫石岡市長は、バスの運行経路や時間帯、停留所の位置などについて、バス会社と早急に協議する方針を示し、「鹿島鉄道利用者に最大限の配慮をお願いしていく」と述べた。

 審査結果の公表後、沿線中高生らでつくる「かしてつ応援団」顧問の栗又衛・小川高校教諭(49)は「生徒の交通手段の確保が究極の目的。高校受験の進路選択は一月中旬に迫っている。代替バス案をすぐにも学校側に示してほしい」と要望した。

 存続運動に取り組んできた、かしてつブルーバンドプロジェクト実行委員会の菅原太郎委員長(29)は「後世に何も残せず、申し訳ない気持ちでいっぱい。ただ、無視できない地域の交通事情、交通弱者の言葉は認識してほしい」と涙ながらに訴えた。 (小沢伸介)

■鉄道離れ 歯止めかからず

<解説> 鹿島鉄道は本年度までの五年間、県と沿線自治体から計二億円の公的支援を受け、鉄道再生計画に基づき運行してきた。だが、肝心の利用者数は高校生を中心に減少の一途。八方ふさがりに陥った鉄路の運命は、決まっていたも同然だった。

 ローカル鉄道の現状は厳しい。他の公共交通機関と異なり、路線の保有と維持管理の負担が会社に重くのしかかる。特に非電化路線では、運行本数を増やせばその分燃料費がかさむため、経営改善が困難とされる。

 鹿島鉄道の場合、親会社の関東鉄道が、つくばエクスプレス(TX)開業の影響から、支援打ち切りを決めたことで、存続の現実的な選択肢は上下分離方式に限られた。しかし、沿線四市はすべて平成の大合併を経て財政的なゆとりがなくなっており、その可能性も閉ざされてしまった。

 この間、対策協議会や各種団体が利用促進のためのイベントを積極的に企画したが、鉄道離れには歯止めがかからなかった。市民団体が連携し、存続運動を本格化させたのは今年八月で、機運の高まりも遅きに失した。 (小沢伸介)


常陽新聞

●鹿島鉄道の廃線が決定
後継事業者としての選定を断念
鹿島鉄道対策協議会(会長・横田凱夫石岡市長)は二十四日、鹿島鉄道線(石岡―鉾田、二十七・二`)を来年四月以降運行する後継鉄道事業者の公募選定について、応募した二者について「いずれも公的支援上限枠の六億五千万円を超える可能性が高く、鉄道の安定した継続を担保できない可能性がある」として後継事業者に選ぶことを断念した。

本年三月末で撤退する鹿島鉄道社の事業後継者は見つからず廃線が正式に決まった。同社と親会社の関東鉄道はこれを受けて四月以降の代替輸送バス運行準備を本格化させ、利用者に支障を来たさぬよう万全を期す考えだ。

〇一年十二月二十六日の同協議会設立から五年。市民運動や沿線中学、高校生らも加わった存続運動は日常の利用者数が回復しないままの五年間を経て、廃線という結論で幕を閉じる。

石岡市茨城三丁目のグリーンパレス石岡で同日、横田会長はじめ沿線各市の市長、麦島健志県企画部長が記者会見した。

同協議会が最終確認した結果として、鹿島鉄道社側が鉄道施設を含む保有資産を売却し早期に債務を弁済していく計画であることのほか、つなぎ運転として四月以降、運行に協力する要望についても、安全確保のため補修や点検に相当の時間と費用を必要とすること、さらに運転士や保線、安全管理などの社員を撤退と同時に親会社の関東鉄道が引き継ぐ計画があることなどから、応募二者が前提とする鉄道用地や敷地の無償譲渡、つなぎ運転への継続などは不可能であり、前提条件が満たせないため最終的に後継事業者として選択が不可能となったことを明らかにした。

これで一九二四年六月に石岡―常陸小川間が開通して始まった同鉄道の歴史は大正、昭和、平成と三代にわたる八十二年間の歴史にピリオドを打つことになる。今後五カ月間で廃線に向けての準備を急ピッチで進める一方、沿線の代替バス輸送準備を本格化させる。

当初、十月をめどに結論を導く予定だったが、親会社の関東鉄道が完全撤退を表明する中で、存続可能性を模索する作業が県、沿線四市間で続き、緊縮財政下での財政負担をめぐる調整や存続後の経営手法などで協議が難航。十月末の第二回協議会では結論を先送りし、鹿島鉄道社の正式撤退表明を受けた十一月下旬からは後継事業者の公募に入った。

十七日には応募二者から説明を聞き、実務者レベルで協議する同協議会幹事会で分析を進め、二十四日の首長協議に結論がゆだねられていた。

横田会長は「鹿島鉄道線存続のための最終手段として公募を実施したが、残念ながらうまくいかなかった。これ以上、結論を引き延ばすと、四月以降の市民の足がなくなるおそれがある」と述べ、存続活動の打ち切りを宣言。速やかなバス代替輸送への移行を約束した。

坂本俊彦行方市長、鬼沢保平鉾田市長、島田穣一小美玉市長はそろって「極めて残念だが、総合的に考えてやむをえない」と述べた。

一方、地元市民団体として後継事業者に名乗りを上げた「鹿島鉄道存続再生ネットワーク」の長谷川功代表は「市民鉄道会社による鉄道経営、運営は鉄路や鉄道敷などを県や自治体で管理する『上下分離』の考え方が実現されない限り困難。経営基盤の確立の前提となる信頼性確保と鉄道経営の見通しの明示を同時並行で進めることは困難であり、準備期間が短い中では限界があった」と総括した。