2007年3月4日 中日新聞
瞳の先 輝く未来
県内 卒業の催し
魚津・村木小 名残のSL磨き
感謝の気持ちを込めてきれいに磨く
(魚津市村木小学校)
【上】6年生児童が別れを惜しみながら機関車を磨いた=魚津市の村木小で
魚津市の村木小学校六年生の二十八人が二日、卒業記念として、学校のシンボルになっている蒸気機関車(ミニSL)「チャコ」を磨き、六年間の学校生活を共に過ごした機関車との別れを惜しんだ。
機関車は、一九七〇(昭和四十五)年に日本カーバイド工業魚津工場が学校教材用として同校に寄贈。児童らは学校生活を見守り続けてくれた機関車に感謝の気持ちを込め、煙突や車輪などをぞうきんで丁寧に磨き上げた。機関車を運転した経験がある元機関士の銘形堅英さん(76)=同市金浦町=も参加し、児童らに機関車の当時の勇姿を語って聞かせた。
機関車は二二(大正十一)年にドイツで、茨城県の鹿島参宮鉄道(現在に鹿島鉄道)の一号機関車として製造された。三八年に日本カーバイド工業魚津工場が同鉄道から購入した。全長約七・一メートル、幅約二・三メートル、高さ三・三メートル、総重量は二十トン。当時は国鉄魚津駅と魚津工場間の約一キロを石灰石などを積んだ貨物車をけん引して往復していた。
今回は、「チャコ」の故郷ともいえる鹿島鉄道(三月三十一日で廃線)の愛好家によるファンクラブ「関鉄レールファンCLUB」(事務局・東京都)のメンバー三人も行事に参加した。
代表の十文字義之さん(42)=神奈川県鎌倉市=は「鹿島鉄道は三月末で廃線となり、八十三年間の歴史に幕を閉じます。チャコは鹿島鉄道の第一号の機関車。鉄道は廃線になりますが、チャコは児童らの永遠のシンボルとして走り続けている」と感慨深げに、ぞうきんを手に。クラブは、チャコの写真を印刷したバッジと鹿島鉄道のポストカードを六年生児童にプレゼントした。 (武田寛史)