鹿島鉄道の記念館完成 往年の“名車”も展示 茨城 平成19年3月末に廃線となった鹿島鉄道の存続運動を支えてきた「鹿島鉄道保存会」(加藤三千尋(みちひろ)代表)が、茨城県小美玉市川戸に「鹿島鉄道記念館」を完成させた。同鉄道の線路を実際に走った車両などを展示している。記念館は加藤代表が個人資産をつぎこんで整備。全国に鉄道関連施設は多いが、個人の資金で記念館を造り上げたのは極めて珍しいという。(倉田耕一) 館内には「キハ714」「KR501」など往年の車両3両を展示。旧玉里駅ホームにあった待合室も移設した。今後は駅名標、「サボ」と呼ばれる列車行き先掲示の板、信号機、ARC制御盤、車掌カバンなど、鉄道ファンにはたまらない逸品も数多く展示する。 キハ714は、北海道初の液体式ディーゼルカーとして当時の国鉄が試験用に借り上げた実績があり、鹿島鉄道で使われた車両の中では唯一の非ワンマン車。「鉄道愛好家の間ではもっとも人気の高かった車両」(加藤代表)という。 同保存会は、鹿島鉄道保存運動従事者や鉄道愛好家ら会員約20人構成。会社社長で薬剤師の肩書きも持つ加藤代表は同鉄道の廃線の動きを知り、「鹿島鉄道を守る会」や同鉄道保存再生ネットワークなどにも参加してきた。 記念館は今後、年数回、一般公開を行う。加藤代表は「鹿島鉄道の記憶を後世に伝えるため基幹施設として役割を担いたい」と話している。 |
●鹿島鉄道記念館が完成へ 保存会が私財で車両など展示 2007年3月末で廃止された鹿島鉄道の歴史を後世に残そうと、同鉄道存続運動関係者や愛好家で構成する鹿島鉄道保存会(加藤三千尋代表、会員約20人)が小美玉市川戸に整備してきた「鹿島鉄道記念館」が間もなく完成する。加藤代表が個人資産をつぎ込んで整備した。全国に鉄道関連施設は少なくないが、個人資産でここまで整備したのは珍しいという。一般公開を前に8日、当時の存続運動関係者らに一足早く公開する。 加藤代表は東京在住の薬剤師で会社社長。05年から「鹿島鉄道を守る会」に参加、かしてつ応援団(鹿島鉄道沿線中高校生徒会連絡会)などのブルーバンドプロジェクトやかしてつ祭りのフリー切符発行などを資金面で支援してきた。 新会社による存続を目指す対策協議会の公募に際し、採用された場合発足を予定していた「霞ケ浦市民鉄道」に5000万円を出資し、筆頭株主となって経営に参画する計画だった。しかし廃線となったため、この費用を記念館建設につぎ込んだ。 当初、浜駅付近の軌道敷約200bを購入して、車両1、2両を購入、動かせる状態で保存しようとした。しかし、部分購入を断られ、静止状態での保存に変更、07年4月に現在地約990平方bを購入、保存会も結成した。 車両はキハ714とKR501を取得した。キハ714は1953年新潟鉄工所(現新潟トランシス)製で、鹿島鉄道唯一の非ワンマン車。鉄道愛好家の間では最も人気が高かったという。 KR501は89年同鉄工所製のレールバス。かしてつ応援団のラッピング車両「がんばれ!かしてつ号」「ありがとうかしてつ」号として活躍した。現在も団員が張ったメッセージが残されている。 旧玉里駅上りホームに設置してあったログハウス風待合室も移設。収集した駅名標、行き先案内板、各種ヘッドマーク、信号機、ARC制御盤、車掌カバンなども展示する。 外には、旧鉾田駅に保存していたキハ431を設置。鉾田市の市民団体が募金を集めるなど計画していた鉄道公園構想が挫折、解体が決定的になったため、救済のために購入した。 関係者に公開した後は年数回、一般公開する方針。加藤代表は「全国に鉄道関連の施設は多々あるが、個人の資産でここまで作り上げたのはおそらく前例が無いのではないか。間もなく廃線2年を迎え、既に風化しつつある鹿島鉄道の記憶を後世に伝えたい。そのための基幹施設としての役割を担えれば」と話している。 |