2007年4月6日 北海道新聞

頑丈キハ、夕鉄の誇り 夕張、茨城走り抜け 気動車が引退(04/06 14:18)

夕張鉄道から移籍後は「キハ714」と改称、鹿島鉄道の廃止まで活躍した=今年1月、石岡機関区

夕張鉄道から移籍後は「キハ714」と改称、鹿島鉄道の廃止まで活躍した=今年1月、石岡機関区

 炭鉱全盛時代の夕張鉄道(夕鉄、野幌−夕張本町間、1975年廃止)で活躍し、その後は茨城県内を走っていた1両のディーゼル車が3月31日を最後に現役を退いた。同日限りで廃止となった鹿島鉄道(石岡−鉾田間、27.2キロ)のキハ714で、液体式変速機を備えた現役の車両としては全国最古。「半世紀もの間、よく頑張ってくれた」。夕鉄に導入された1953年当時の整備責任者で、元夕鉄社長の古屋源(みなもと)さん(82)は、今も暮らす夕張の地で、往時を懐かしむ。

 夕鉄ではキハ251と呼ばれた。液体式変速機は専用オイルを介して動力伝達するオートマチック式自動車と同様の仕組み。現在は、普通列車用から特急用まで使用されているが、道内ではこの車両に初めて搭載された。

 以前の「機械式」は、車両一両ごとに運転士が乗務しギアチェンジをして走ったが、液体式は運転士一人で後続車両を制御できる。旧国鉄が室蘭周辺で機械式を走らせていたが、液体式は未導入だった。古屋さんは「国鉄に試験用に貸し出したこともあった」と誇らしげに話す。

 夕鉄はキハ251導入の前年、機械式二両を導入したが、冬は毎日のように故障。車両課技師として連日、徹夜で修理に当たった古屋さんにとって、頑丈なキハ251は頼もしい存在だった。とはいえ、寒冷地向けの設備は不十分。暖房を補うため、バス用の灯油ヒーターを据え付けるなど改造を重ねた。こうした整備を統括するため五四年、二十九歳で機関区の助役に就任。年上の部下に気持ちよく働いてもらうため、家に招いては杯を交わした。妻京子さん(78)は「いつも冷蔵庫は空っぽ。やりくりが大変でした」と振り返る。

 だが、自動車の普及に伴い、旅客輸送は五九年の年間二百六万人をピークに、七○年には百三万人と半減した。七四年に旅客営業を休止し、キハ251は二年後に関東鉄道鉾田線(後の鹿島鉄道)に売却。手塩にかけたディーゼル車と別れた。貨物だけとなった鉄道部門は、従業員百七十人と共に、北炭に吸収された。古屋さんは、新たな屋台骨となるバス部門の責任者に異動。九二年まで夕鉄社長を務めた。

 鹿島鉄道によると、キハ251は愛好家が購入を申し入れているという。解体を心配していた古屋さんは「できれば、もう一度会いたい」と、思いを募らせている。