2007年4月1日 茨城新聞
鹿島鉄道83年の歴史に幕 最終列車、市民ら見送り 石岡駅 |
2007/04/01(日) 本紙朝刊 第1社会 B版 23頁 |
鹿島鉄道(石岡−鉾田、二十七・二`)は三十一日、八十三年の歴史に幕を閉じた。最終運行となった同日は、石岡、鉾田両駅で別れを惜しむイベントが行われ、鉄道ファンや家族連れなどが詰め掛け列車は終日満員。乗客らは古い気動車や駅舎をバックに記念撮影したり、車窓から霞ケ浦湖岸を眺め、最後の旅を楽しんでいた。 JR常磐線との乗換駅になっている石岡駅では、東京や水戸方面からの乗客がホーム入り口の切符売り場に列をつくり、一日フリー切符を買い求めて終着の鉾田駅へと向かった。 気動車が発着するたびにホームはカメラを手にした鉄道ファンや家族連れで大混雑。鉾田行きは終日二両編成で、駅員が乗客を車内に押し込むなどごった返した。 同鉄道は、国鉄や地方鉄道から払い下げを受けたレトロな車両が現役で走っているのが人気で、全国から鉄道ファンらが最後の雄姿を見に訪れた。親子三人でやって来たという北海道新得町の森安悟さん(43)は、「妻が昔乗っていた夕張鉄道の車両が走っているので会いに来た」。福島県いわき市の井上和弘さん(38)は「鹿島鉄道は昔から好きで何度も乗っている」と車両には乗らず、しばらく眺めていた。 ■ 一方の鉾田駅は、列車が着くたび通勤時以上の乗客が降り立ち、夕方まで混雑した。駅前では市民有志の呼び掛けで乗降客を出迎える惜別イベントが行われ、市民団体「ネバーギブアップかしてつ」が湯茶の接待や、ニンジン、ゴボウなどを無料配布。同市鉾田商工会(渡辺喜一郎会長)などは参宮鉄道時代の鉄道のポストカード千組を無料で配布し、開始約二時間ですべて配り終えた。 旧制中学時代に水泳訓練に通ったという渡辺会長は、「夏に桃浦水泳場まで一週間通った。おかげで同級生に泳げない者はいない。廃線で寂しくなる」と感慨深げだった。 道路を挟んで二台の山車を置いておはやしを演奏した「鉾田まつりばやし連合会」は、祭り支度で警備要員を含め延べ二百人を動員。岡里剛治会長は「感謝の気持ちを込めて精いっぱい演奏したい」と話した。 混雑ぶりにカメラを向けていた同市塔ケ崎の農業、浅野育三さん(83)は、「鹿島鉄道と同じ年だが、寂しい」。 一方の鉾田駅は、列車が着くたび通勤時以上の乗客が降り立ち、夕方まで混雑した。市民有志の呼び掛けで乗降客を出迎える惜別イベントが行われ、市民団体「ネバーギブアップかしてつ」が湯茶の接待、ニンジン、ゴボウなどを無料配布。発起人の一人で、スウェーデンから昨年、夫と二人で鉾田市内に移り住んだ由美・山中・へニックスさん(61)は「運動で良い方向になってきてうれしい」と話していた。 同市鉾田商工会などは参宮鉄道時代の鉄道のポストカード千組を無料配布、開始約二時間で完了した。旧制中学時代に水泳訓練に通ったという渡辺喜一郎同会長は、「夏に桃浦水泳場まで一週間通った。おかげで同級生に泳げない者はいない。廃線で寂しくなる」と感慨深げだった。 道路を挟んで二台の山車を置いておはやしを演奏した「鉾田まつりばやし連合会」は、祭り支度で警備要員を含め延べ二百人を動員。岡里剛治会長は「感謝の気持ちを込めて精いっぱい演奏したい」と話した。 ■ 午後五時すぎ。石岡駅のホームではNPOまちづくり市民会議、かしてつブルーバンド実行委員会が「さよならセレモニー」を開催。国内現役最古の車両「キハ400形」の前で、菅原太郎委員長が「あと五時間でお別れです。さよなら、かしてつ。ありがとう、かしてつ」とメッセージを送った。 これに応え、鹿島鉄道の小野里忠士社長が「皆さんの温かいご支援でここまでやってこられた。八十三年の歴史に終止符を打つことは残念。申し訳ないと思っている」と最後のあいさつ。同五時三十分発鉾田行の運転手や車掌に花束贈呈した。 同十時二十九分発玉里行きの最終列車が出るころには、イルミネーションがともされたホームに大勢の人が詰め掛け、ラストランを見送った。列車が玉里駅を折り返す際、地元有志らがホームで光るスティックを振って最後の別れをした。 同鉄道は一九二四年に営業開始。二九年に全線開通したが、六七年の三百万人をピークに利用客減少に歯止めがかからず、二〇〇五年には七十七万人に激減。県や沿線自治体の財政支援を受けたが経営不振に陥った。一日からは沿線で代替バスが運行される。 【写真説明】 さよならセレモニーでかしてつブルーバンド実行委の菅原太郎委員長らから花束を受け取る鹿島鉄道の小野里忠士社長や運転手=31日午後5時30分、鹿島鉄道石岡駅ホーム |