2007年4月1日 朝日新聞

鹿鉄 お疲れ 惜しむファン最後見届け

2007年04月01日

 霞ケ浦湖畔を走り石岡市と鉾田市を結ぶ鹿島鉄道(27・2キロ)が31日廃線となり、83年間の歴史に幕を下ろした。現役最古の気動車が走るローカル鉄道の人気は高く、列車は終日超満員となった。乗客らは改めて廃線を惜しんでいた。

 この日は沿線主要駅でも様々な催しがあった。鉾田駅前では、この日に合わせて結成した鉾田まつりばやし連合会の山車2台が登場、約200人のはやし方が太鼓をたたき、キツネやひょっとこの面をつけて踊った。

 同連合会代表の岡里剛治さん(41)は「(鉄道がなくなり)さみしいがどうしようもない。蛍の光で送る手もあったが、私たちには囃子(はやし)しかないので、しんみりするより、にぎやかに送ることにした」と話していた。

 同市巴川の鬼沢ひでさん(80)は、風邪で鉾田市内の病院にかかるため同鉄道で鉾田駅へ来た。「今日で最後。がっかりした。年寄りには列車が最高なのに。バスは乗り慣れないから大変だ」と、満員の列車で巴川へ戻っていった。

 石岡駅では午後5時すぎから、NPO法人まちづくり市民会議主催のさよならセレモニーがあった。同鉄道の存続運動を続けてきた同会議ブルーバンドプロジェクト実行委員長の菅原太郎さん(29)が「(廃線という)残酷な言葉に返す言葉もない」とお別れメッセージ。同鉄道の小野里忠士社長は「長い鉄道の歴史を閉じることになり責任を痛感している。あたたかく応援してくれた方々や、事故を起こさずやってくれた社員に感謝したい」と目をうるませてあいさつした。

 小野里社長と鉾田行きの運転士、車掌らに花束が贈られ、列車が出発するとホームのファンから拍手が起こった。

 同駅のホームには夜に入っても大勢の人たちが別れを惜しみに訪れ、ダイヤも最終列車まで大幅に乱れた。45分遅れて午後10時17分に発車した鉾田行き最終列車では、ホームの人たちと列車の乗客を紙テープで結んだ。港を出港する船のように列車が暗闇の中に遠ざかりテープも切れると、大勢の人たちから拍手が送られた。最終列車でも、花束を贈るさよなら出発式があった。